にほんばしかわら版令和6年秋季
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 「蚕の一生」と題する自由研究は、私だけでなく、姉や弟の定番の夏休みの自由研究のテーマでした。数年前、群馬県の富岡製糸所で何十年かぶりに蚕を触りましたが、独特のひんやりとサラッとした感触に、当時の記憶がよみがえりました。 私が4歳の時に父の仕事の関係で、家族で数年間米国暮らしをしました。その時の記憶は断片的にしかありませんが、近所のスーパーマーケットに、まだ日本にはなかった有名ハンバーガーチェーンの店舗があり、家族でよく利用していたと聞いています。10歳頃までに体験した味覚は記憶に刷り込まれるといいますが、日本ですっかりメジャーになった、そのハンバーガーチェーンのハンバーガーに、大人になった今でもノスタルジックな味を感じてしまうのは、味の刷り込みの成功例として称賛されるべき事象かもしれません。 幼少期の経験のせいか、海外にもさほど抵抗感がなく、幾多のトラブルに見舞われましたが、学生時代に一人で東アフリカを放浪したのもいい思い出です。 体重管理と健康維持のために、ランニングを長く続けています。子どもの手が離れ始めた40代から少しずつ距離と時間を延ばし、試行錯誤して自己ベストタイムが更新されていく過程に快感を覚え、一時期は取りつかれたようにマラソン大会に出場していました。当初の目標は、「フルマラソン完走」でしたが、その後、「途中で歩かずに完走すること」→「できるだけ楽に完走すること」→「東京マラソンで4時間以内にゴールすること」、と目標が上がっていきました。2017年に念願の東京マラソンに出場できましたが、目標タイムには届かず、結局、コロナ禍前までマラソン大会への出場は続けていました。市民ランナーの目標であり、個人的にもどうしても叶えたかったフルマラソン完走タイム4時間切り、いわゆるサブ4を、2018年12月にどうにか達成したことでやや熱も冷め、コロナ禍後はハーフマラソンや1区間5キロ程度の駅伝大会への参加にとどめ、ランニングを楽しんでいます。 死語となりつつありますが、もともと流行りものにはすぐ手を出す「ミーハー」で、スキーやゴルフ、ダイビングなど、一通りやりましたが、ランニング以外でこれまで長く続いているのは、サッカー観戦です。Jリーグが開幕した年にプロサッカーに触れ、それ以来、継続してスタジアムに足を運んでいます。最初に観戦した試合で、元ブラジル代表のジーコのプレーに魅了され、それ以来、縁もゆかりもない茨城県のプロサッカーチーム、鹿島アントラーズを応援しています。 社会の役に立ちたいという何ともナイーブで漠然とした思いで公務員を志望し、昭和63年に東京国税局に採用されました。3か月の基礎研修を終え、最初に配置された�ご趣味などについてお聞かせください。卒業後、税務の道を歩まれてきたわけですが、今までどのような仕事(税務署における職等)をされてきたのか、また、職務に当たって心がけていることなどございましたらお聞かせください。

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