小舟町に伝わる天王祭は江戸の昔、神田祭・山王祭と並ぶ「江戸三大祭」のひとつとして数えられていました。江戸の守り神とされた神田明神の境内にある�つの神社が����年に幕府の手から町の名主に任されるようになってはじまり、���年前に小伝馬町から小舟町に引継ぎ現在に至っています。神田祭・山王祭が「官製」の祭りであった反面小舟町天王祭は江戸町民が運営する「民営」の祭りとされ、その渡御の範囲も南は南伝馬町(現在の京橋周辺)から北は神田明神、東は両国橋と広範囲に及び、3日�晩をかけて江戸中を挙行されたと伝わっています。しかし華やかで壮麗であったこの天王祭も関東大震災で神輿を焼失してから大巾に縮小され、それ以来「小舟町だけのお祭り」との認識の中で100年余り町内だけで催行されてきました。しかし昨年、関東大震災被災百年を契機にもう一度小舟町天王祭を盛大に挙行しようとの思いが町民の中で芽生え、今年の年初から計画を練り始め、江戸市中の渡御は無理としても少なくても日本橋の橋上から小舟町への渡御と言う計画を練ってきました。当初は小舟町だけが何故町を出て日本橋までの渡御をするのか?との反対意見が多く、計画は困難を極めましたが町内の青年部をはじめ多くの町民が粘り強い説得を続け、9月��日の日曜日遂に日本橋橋上からの渡御が挙行されました。当日は近隣町会の方々や遠く築地や神田の街の方々も参加され1トンに及ぶ大神輿を担ぎ上げ、また沿道には日本橋の町内の多くの方々が集まり華やかで、壮麗な渡御が行われました。小舟町町会長日本橋法人会副会長吉田 誠男�小舟町天王祭に寄せて
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